1995年の戦後50周年における謝罪声明で知られる村山富市元首相が、2025年10月17日、故郷の大分県大分市の病院で老衰により逝去されました。享年101歳でした。
村山氏は1994年から1996年まで、日本社会党(後の社会民主連合)と自由民主党との連立政権を率いました。首相として、国内外で重要な役割を果たしました。
1994年7月にはG7サミット(イタリア・ナポリ)に出席し、当時の米大統領ビル・クリントン氏と会談を行いました。
同年7月、韓国を訪れ、金泳三大統領と北朝鮮の新指導部について情報交換を行い、戦没者追悼のため国立墓地も参拝しました。
1995年5月、村山氏は中国・北京の盧溝橋を訪れ、1937年の盧溝橋事件や南京大虐殺の資料を視察しました。
同時に、江沢民元国家主席と会談を行いました。
そして、同年8月15日には戦後50周年を迎え、「村山談話」を発表しました。談話では、日本の戦争責任を認め、植民地支配や侵略によって多くの国民に甚大な被害と苦しみを与えたことを謝罪しました。この声明は国内外で高く評価され、特に中国や韓国などアジア諸国から歓迎されました。
首相在任中、村山氏は1995年の阪神・淡路大震災や東京地下鉄サリン事件など、国内の大規模な危機にも対応しました。
退任後も、歴史認識問題や靖国神社参拝問題について積極的に発言し、平和主義を守る立場を貫きました。
晩年には、安倍政権の集団的自衛権拡大に反対し、91歳の高齢にもかかわらず抗議活動に参加するなど、積極的に社会に関与しました。
村山元首相は、大分県出身で、11人兄弟の漁師の家庭に生まれ、晩年には白く太い眉毛で知られていました。
101歳で亡くなるまで、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴え続け、日本の戦後政治における重要な功績を残しました。
彼の謝罪と平和への姿勢は、今後も国内外で語り継がれ、戦後日本の歴史における象徴として記憶されることでしょう。
